ぼくのはてな。

「推しのためならえんやこら」なバンギャルです。ヴィジュアル系、アニメ、漫画、ゲーム、アイドル、サブカルチャー。

日曜日の話と今更考えるこじらせバンギャルの認知のあれこれ

わーい!ついに私も流行りにのってはてブロデビューだよ!

三日坊主がデフォな私からすれば絶対に続かないと思うけど。ついでにこの記事はとてつもなく長いから読み始めるのは自己責任で。

 

一昨日は久しぶりにインストアイベントとライブだった~

インストアっていうとバンドとファンの唯一の接触の機会だけど、別にこれといって何かあったわけでもないんだなこれが…!ただ、改めて「認知される」って末恐ろしいことだな…って思った。自分の意思でマイナー界隈のライブに出没してるくせにアホな話ではある。ただ認知とマイナー界隈は切っても切れないとは思ってる、だって輪が小さいからね。ちなみにまだメンバーに認知はされてない。たぶん。いつかもし認知を明言される日が来てしまったときは、ライブ行くのはしばらく辞めると思う。それがもし来るかもしれないと思うだけでものすごく怖くて内心ビクビクしてる。そんなうじうじ悩むなら家でCDだけ聴いてろ!と言いたくなるけどライブは楽しいのでライブも捨てられない。でも接触にはしばらく行かないので関係ないっちゃ関係もないし、ただ本当にメンバーにどうこう言われたわけではない。

何事もなかったのに、改めてむかしを振り返って私自身がすごくそう思ったので、気持ちの整理的な意味で書いていく。

 

今、私はDevelop One's Facultiesしかライブには定期的には顔は出していないのはフォロワーの人からしたら既知なことではあるんだけど、そもそもライブも地元しかほとんど顔も出していない。留学のために貯金に勤しんでいたのでそんな金銭面的に余裕がなかったのもあるけど、精神的な余裕もなかったところもある。

 とにかく言えることが私はバンドに対してこじらせてる部分がめちゃくちゃある。そのひとつが「認知されたくない」だと思う。名前を知らなくても、ライブで時々みかける顔だからって「あ!」って顔もされたくない。自分のクソみたいな自意識過剰が、根底に凄くある。

頭が痛い話だけど、自分で「サインがいっぱいほしい!」って思いでイベントに向けて複数枚購入した癖に「何も話したくない…」って思いすぎて、日にちが近づくにつれ、26日の当日家を出るまで、その自意識過剰をこじらせたが故にひたすらに病んだ。今考えると「じゃあ行くなよ」って話すぎる。でもサインは欲しかった。なんにせよ今の撮影会メインのイベントばっかりだったなか、サインをもらえる機会なんてなかなか無いもんで…撮影会なんか極論言えば私が映っていなくてもいい。かわいいバンドマンのとなりに自分のブサイクな顔があるという事象そのものが申し訳なくなる。iPhoneのカメラがSNOWやプリクラ並みに可愛く補正かけてくれるなら別やけど。でも、サインは過ごした思い出が形に残るけど自分はさほど干渉はしていないって時点で私的にはわりがいい。

 

26日は何事もなく終わっていった。本当に自分の一人相撲が馬鹿みたいに感じられるくらいに。かといって「初めまして」というお互いを探り合う感じでもなく、自分の顔が割れているのか割れていないのか自分では判断しかねる、距離が近すぎず遠すぎずな、結構ラフな感じで接してくれたので個人的に「これぐらいが丁度いいな」と思った。

 

そもそも、自分がライブやイベントに足しげく行っていたときって、もう2~3年も前の話にはなるんやけど、認知されたのってアヲイしかない。

でも、メンバー全員認知されていたときって本当にトチ狂っていた。

まず、死ぬほどアホなので好きなメンバーに認知されたとき自分でもびっくりするくらい舞い上がった。そんなことが今までの自分の人生になかったのもあるし、好きなバンドマンに「大多数にいるなかのファンの1人」ではなく、「俺のファンの〇〇ちゃん」として認識されたことが単純に嬉しかった。

 

そして、次自分が思ったことは「応援している人に良いファンとしてみられたい」っていうこれまたクソ自意識過剰なエゴだった。普段生活からも周りにも良い人として見られたい欲求は多少あるけれど、特に好きな人には良い人として見られたい、とにかく相手にとって良い印象の人間で私はいたかった。

今といえば好きなバンドマンが新バンドを組めば「元盤はどうした!」と発狂しツイッターで連日連夜喚きまくり、あなたのギターが大好きです♥なんて言っていたファンが手のひらを返し新しいバンドとバンドマン含めボロクソに叩きまくるというどこからどう見ても「コイツ、マジで最悪だな」という印象しか残せなかったわけだが、必死で応援しているその時は本当に真面目にそう思っていた。今は時間の経過もあって落ち着いたけど、あの時は本当にごめんなさい…と勝手にまた心の中でバンドにも好きなバンドマンにもその人たちのファンにも四方八方申し訳なさの四面楚歌でいたたまれなくなって死にたくなる。

 

こうやって自分を改めて振り返ってみたら、趣味の方へ心が傾倒しすぎて自分自身を見失うという、自分の心の不安定さをライブの楽しさで補ってきたがためにバンドに依存しすぎてしまう、っていう欠点を自分で見つけたのもあって、今はセーブしつつ、自分のことを見つめなおす心の養生期間みたいなところある。

一昨日も、人から見ればたかが対バン、たった6曲のDOFのステージで「結成から今までの2年間を振り返り、人目もはばからず勝手に泣き出す」っていう。かなり痛い子なのは随分前から自覚してはいるけど、自分でもこの病的なまでの好きってどう手綱を持って制御していいのかいまだにわかってない。

思えば、大学生になってふとしたきっかけでバンギャルに返り咲いてから、病的じゃなかったことがない。ある意味自分でバンギャル=メンヘラ、病んでるってステレオタイプなイメージを地で行く生活をしてきたから今更どうしていいのかがわからない。

Sadieやアヲイのライブ行っていたときって、それこそ何かあったわけでもないのにツアーファイナルでツアーの終わって欲しくなさのあまり終演後わんわん泣き出し、聴きたいと願って止まなかった曲がライブできたとき歌い出しもまだなのにイントロで泣き出し、ツアーファイナルの箱が大箱すぎる(その時点で実力に見合った箱じゃない挑戦的なアレ)とファンながら「ここが埋まらないと、このバンドはどうにかなるんじゃないか」なんておせっかいの考えすぎで吐き気と頭痛と胃痛に襲われながらトイレにいつ駆け込むか顔面蒼白冷や汗かきまくりで開演待ちしたりと、傍から見なくても恐ろしい。

 

アヲイが解散を発表してからまわったツアーなんて、ライブが終わったあと地元に帰る夜行バスでも電車でもどこでもタオルを離していられないほどに泣くのは当たり前だったし、バイトか学校かの行く途中の電車内でツアーのことで頭いっぱいになり喘息発作で途中下車して見知らぬ人に介抱してもらったり、大学の授業中でもお構いなしに急に号泣してとてもじゃないけど授業なんて聞いていられる状態じゃなかったので勝手に退出したこともある。学校、バイト、ライブのスケジュールがしっちゃかめっちゃかなときは体力が追いつめられて視力が低下してる(視力の低下というより貧血の症状なんだけど、視界が一瞬真っ白になったり、色が認識できなくなる)なかそれでもライブへ行くのは辞めない。今だから言えるけどマジでそこまでメンタルがヘラりながらでもライブに行かないという選択肢がないのが心底恐ろしい。

 

それくらいその時の自分には、バンドしかなかった。バンド=自分の生きがいになってしまった哀れなバンギャルの成れ果てだった…

 

なんの話だっけ、認知の話だよ~って感じには話が逸れてる…

ただ、それくらい必死にライブに行っていたのって元を辿ればなんなんだろう?って考えたとき「認知された」ってことが大きいなって凄く思った。先に言っとくけど、認知自体は覚えてくれるバンドマンはもちろん誰も悪くない。勝手に勘違いを加速させるファン(私自身)が一方的に悪いとは言っておく。

 

認知されたことがある人はわかると思うんだけど、ステージ側の人って自分のファンの出席確認するところあるじゃない?目が合う、構われるとかじゃなく、私自身が見られている意識はしていなくても次の接触で当たり前のように相手側から前回自分が行ったライブの話をされたりすることがあったりしたからなんだけどもね。

それが、自分はこじらせすぎてしまったんだと思う。例えば「名古屋なんて大阪からならすぐそこなのに、行っていないと"たいして俺のこと好きじゃない"って思われるんじゃないか」と思って(実際全国何百といるファンのなか私1人にそんなこと思わないし、まず絶対そんなことを思わない優しい人なのはわかってはいても)無理にスケジュール組んだり。単純にステージ側からフロアを見たとき、あんなに沢山人がいるなか自分がいるってわかってもらえる嬉しさもあったし。

良いファンでいたい病はさらに加速して、差し入れにも着手した。ほとんど煙草とか弦だけど。毎ライブ、前回のライブの感想をぎっしり書いた手紙を送った。とにかくその人の目に私が良く映っていたかった。それもこれもあれもそれも、全部自分が自意識過剰で、さらには自信過剰なせい。こわいね!

でも、盲目ってそういうものなのかなぁ。盲目的に好きになりすぎると、好きな人はおろか自分も見失ってしまう怖さがある。

 

そんなこんなで、認知された!って舞い上がって、アヲイで所詮本命盲目ギャ♥になったまではまだ純粋な(?)ファンの状態。ここで終わっていたら、今も普通のファン心理として「認知されたら、それはそれで嬉しい」とまた足しげくDOFのライブも通っていたと思う。ただ、その盲目ギャになった私の次のステップが、なぜか「本命に対する軽いアンチ化」だったから認知に対してこじらせた考えになった。

 

好きの反対は無関心ってよく言ったものだなって思う。まさに「愛と憎しみは表裏一体」「可愛さ余って憎さ百倍」って感じ。今もその気は抜けてないけどな!

バンドが解散したあと、好きなバンドマンが、次のバンドを組もうが、はたまた一般人になろうが、ファンにとっちゃ関係のない話かもしれない。いや十中八九関係はない。バンドマンだって1人の人間だ、バンドを選ぼうがまた違う道に進もうが、その人の人生だからその人自身に道を選ぶ選択権はある。

それが、私の場合はアレルギーを起こすみたいに本命が次のバンドを組むって事象をその時は全く受け入れられなかった。理由はいたってシンプルなんだけど解散したバンドが好きすぎた

 

それはいい、みんな思うこと人それぞれだから。でも、私は応援するしない以前に怒り狂ってなぜかその矛先を新しいバンドと本命に向けた。

Twitterで罵詈雑言を吐きまくったあと、1ヵ月くらい本垢を消して一切の情報をシャットダウンした。再開したあともネチネチと新しいバンドと本命の愚痴を言い続けたし、この時から一気に性格が攻撃的(という名のネット弁慶)になった。ただ、Twitterでエッジの効いた暴言を毎日吐き散らしつつも、家ではしおらしく毎晩泣いていた。自分があそこまで必死になった最高にかっこよくて最高に大好きなバンドが解散した1年後、自分がまだ解散ロスで思い出を引きずっているなかで、あっさり本人は新しいバンドを組んだことがとてつもなく寂しかった。自分の視界にちゃんといたはずなのに、いつのまにかずっと遠くにいて、置いて行かれた気分になった。

私があっさり、なんて言っても、本人らからしたら「あっさり」なんてものじゃなかったのかもしれないけど。

 

 そうして気持ちの折り合いをどうつけたらいいのかわからず応援もできない、もう解散時に味わった精神的に切羽詰ったようなあんな思いはしたくないし、なにより大好きなものを失う喪失感とはしばらく無縁でいたい、と思って色んなものを頭の端の端の奥深くに封印していたら、次第に気持ちも落ち着いて行った。気持ちが落ち着くのとほぼ同時に、エゴサ回避もしないでゴリゴリと暴言を吐いていたこと自体がなんて幼稚なことしてたんだろうという申し訳なさで精神的にまた病んで潰れた。一人相撲健在!もし私の罵詈雑言の数々を本命が見ていたら…なんて見られていたとは思うんだけど、もしかしたら他のメンバーにも見られてたんだけど…笑 あれだけ大好き大好きって言ってた自分のファンが新しいバンドを組んだ途端手のひら返して怒り狂って暴言吐きまくっていたら嫌われても仕方がない。私が慎ちゃんの立場だったら「唐突だが、俺のファンのあいつは死んだ」って存在自体をなかったことにする。いっそ、そっちの方がいい。

それくらいファンキーなアンチっぷり。今は何事もなかったかのようにまた手のひら返してるけど、彼のなかでは私はすでに忘れられている設定だからできていることです!外道だ!

 

そんなこんなで、アヲイが解散しても、Sadieが活動休止しても、マイバクがボーカル以外脱退して精神的にボコボコの状態で「バンギャやめたい」が口癖でありながら、唯一DOFのライブにはちょくちょく顔は出していたんだけど、この時から「認知はされたくない」という思いが既にあった。

実際、reincarnationのインストアの時点でruiくんに直接手紙を渡したとき、「お客さんの顔と名前、なかなか覚えられなくて、ごめんね~」みたいな会話をふられ、死んだ顔をしながら「あはは~別に私のことは覚えなくていいです」と素で返事を返したのを覚えている。悪いけど、あなたの客はあなたが思っている以上に面倒臭いです。ごめんよ!

私は、さっきの認知されたい→いいファンだと思われたい!の自意識過剰じゃなくて、これらの経験を経ての、次は(自分の今までやってきたことを棚に上げて)「私個人にどうこう思われたくない、嫌われたくない、だからそもそも覚えなくていい」のまた違う自意識過剰にジョブチェンジした。本当に面倒くさい。かなり自分勝手な考えだと思うし、でも本当に今はもし覚えられることがあっても素直に喜べないし全くもってごめんなさいとしか言いようがない。

 

「良いファンになれる素質が自分にはない」って気づいたら、また認知されて舞い上がって勝手に醜態晒すようなことしたくないと思ったら、どんどん凝り固まってこんな感じに出来上がってしまった。だって、元々自分は良い人でもなければ、それを隠すためにいい子ぶって猫かぶる元気も、もうないんだもの。ようするに人として終わってることを知られたくないのもある

結局いえば、「余計なこと考えないで、ライブだけを楽しみたい」一心だから、ある意味熱心な信者だけど、面倒くさいことに変わりない。

「"音"を"楽"しむから"音楽"なんだ、だからライブ全力で楽しもうな!」なんてくさいことをのたまうバンドマンが前は「うるせー!バンドとライブに執念持ったガチ恋よりこじれたばんぎゃるはそんな単純なもので構成されてねぇんだ馬鹿野郎!」って心の中で罵倒するくらい嫌いだったけど、今は自分自身がそういう純な楽しみ方を追い求めているので、そういう面では落ち着いたんだなって思っている。罵倒してすまんな、君は正しい。そして、純な楽しみ方をするためには、自分を自分と保ったまま、こじれたファンにならないためには認知はいらないし必要ないと思った。考えが極端だけど、こういう考えしか自分が落ち着ける方法がわからない…!

 

日曜日からそんな考えても答えが出ないことばかり考えてた。連日眠れないのでガツガツと自分の気持ちをアウトプットしていたけど、やっぱりこんなゴミみたいな長文にせよ、いつか見返したときにこの時の自分はこう思ってたよ!っていう面で振り返ると自分のTwitterなりアメブロなり見てると気づくことたくさんあるので、もしまた人としての道を踏み外して、ファンもどきになりそうになったら、これを読んで心落ち着かせたい。

 

全然関係ないけどこれ書いてたらるいくんが唐突にツイキャスはじめた(3/27 3時も過ぎたド深夜です)。るいくんは、真っ直ぐすぎるせいか言葉さえもストレートにアウトプットするという、まっすぐがゆえの不器用が高じて誤解を多数生む人だけど笑、深夜にツアースケジュール詰まりまくって疲れてるだろうに、ツアーのセットリストの解説や曲の解説をたった約30人しか聴いていないリスナーにしているあたり、本当にるいくんみたいな人ってV系にしては稀だよな〜ってなんかほっこりして微笑ましくなるし、こういうところが好きだなぁって思う。

今1番好きだと言えるバンドマンがまたできたからこそ、これから起こりうるかもしれないたかがファンのひとりの解釈のすれ違いで、相手やバンドを頭ごなしに貶したり、悲しい思いさせたくないんだと思う。ようするに、私は自分の身勝手で大好きなバンドマンを傷つけた(かもしれない)過ちを、もう2度と繰り返したくない、これに尽きる。こんな勝手な罪滅ぼしを違う畑でやってる時点で、またたいそう身勝手で迷惑な話ではあるけれど。

私がこんなめんどくさいファンに転身してしまったのも、応援してるバンドマンが素直に、真面目にいちファンの話を受け止めてくれていたから、そんな優しさに甘えてしまって、「何を言っても、自分のファンだとわかってくれている私の意見は、絶対に受け止めてくれるはず」なんて痛い勘違いを爆走させて、いつのまにか得体の知れないファンとは似ても似つかないバケモノになってしまった。

必ずしも、認知は幸せは生まない。認知されて嬉しかったこともあるけど、バンドマンの中の良いファンでありたいなんて、覚えられただけでも贅沢なのに、自分の身分に見合わないおこがましい欲が生まれたあげく、勝手にエスカレートして勝手にファンとしても死んでいく。「覚えて欲しくない」もまた所詮さっきの"おこがましい欲"には変わりはないんだけど、そうやって『自衛』をしないと馬鹿な私はまた同じことを思って、同じことをしそうな気がする。

そう思うと、Sadieの亜季さんの「インストでファンと直接話す時に、いつもライブに来てくれている子も、最近ライブ来はじめた子も、平等に接したいので、たとえ顔や名前を知っていても自分から"覚えていますよ"とはあまり言わない」という考えは、凄く優しさに溢れているなと思った。私は景ギャだったけどな!Sadieの入口は亜季ギャでした。

 

ひとまず、そんな過ちを繰り返さないためには、「存在が近くなりすぎない」=「認知されない」ってことは自分の中で最重要で、そういうバンドマンとファンの丁度都合のいい距離で、なおかつただの傍観者の立場で無理せず楽しむ意識が大事なんじゃないかなぁって思った。結論、私が私なりにヴィジュアル系というコンテンツを最大限に楽しみたい我が儘に付き合わされている、私の応援しているバンドは可哀想ということだ!

 

ただ、発信したいことはこれからも発信し続けるんだろうけど、もっと言葉の角を丸めて、優しくトスできる人間になりたい。これからはそうなっていきたいなー。と思う。おわり。