応援し続けることが【愛】なのか、辞めることが【愛】なのか
2017年9月21日!
現在ベルリンは気温13度。肌寒い通り越して冬が一気にやってきた感じすらします。
日本は昼間はあったかく、夜中は20度前後なのでうらやましい。
今年の私の秋は一層寒くなりそうです。
そして、9月21日といえばこれ
【ヴィジュアル系今日は何の日】
— ヴィジュアル博士のる (@vr_noru) 2017年9月20日
SadieがZepp Tokyoにて開催のワンマンライブ「forever and ever…」にて活動休止となった日。
(2015.9.21) pic.twitter.com/cQhNTm2hSr
便箋羽にした。羽好きやし俺。 pic.twitter.com/hJb2k5ulA9
— 剣 Guitarist (@tsurugi_brain) 2017年9月20日
2年か、早いな。けど俺は諦めない。
— 真緒 (@mao_Sadie) 2017年9月20日
「もう2年」か「まだ2年」か、感じるのは人それぞれだけど私は「もう2年経ったのかぁ」と思いました。
Sadieが活動休止後のサディギャちゃんたちは、The THIRTEENまたはRAZORにいる人の方か多いのでしょうか。これからベースの亜季さんのソロ活動も始まるので、誰も何も言わなくても「景ちゃんって今何してるんだろう」は禁句になり、今後のSadieのメンバーの動向は一応気にはなるところです。
私みたいにめちゃくちゃ掠りもしてないバンドのファンになった人も多いんでしょうか。周りはバンギャル自体上がってしまった人、まだ続けている人で半々くらいかなぁと思いますが。
私は一応まだバンギャルの枠にいて、サディギャですが
・真緒・美月率いる「The THIRTEEN」
・剣が新しく組んだ「RAZOR」
・新しく始まる亜季ソロ活動「axxessory」
どれもすべて興味がない。言い方ばっさりだけどそう。
活動自体に全く興味がないわけじゃなく、1年前から活動してる上記2つのバンドは音源も買いThe THIRTEENのみライブやインストアも行ったけど、何年も好きで好きで追いかけていた人たちの顔や声を、たった1年見ないだけで忘れるわけがない。目の前の見知った人は違う曲を弾き、歌っているけど、安心感が凄くあって別に泣くような曲なんて1つもないのに涙が出てくる、それと同時に「でも決定的に応援するには何かが違う」みたいなのも感じて凄く寂しくなった。ライブはもちろん楽しかったけど、Sadieのライブに初めて行ったときみたいな高揚感があるかと言われれば、なかった。
突然話は変わるけど、Sadieには事務所直属の後輩としてアヲイと言うバンドがいた。私はめちゃくちゃアヲイが好きだった。そのバンドで今でも大好きな本命と出会った。
そのバンドは3年前の2014年10月に10周年という節目で幕を下ろした。その約1年後バンドの一部のメンバーで新しいバンド「for severe addicts only」が結成された。私は当時新しいバンドを組まれたことがめちゃくちゃ嫌すぎたので罵詈雑言を吐きまくった。今は年月の経過もあってそうでもない。今年の4月、そのfsaoのライブ行った。その時も本命が居てしても「もう前みたいに応援はできない」と悟った。
こういう2例を経て、私は、前のバンドが好きすぎる・印象が強すぎるせいで例えその時すごく好きなバンドマンでも新しいバンドになると以前みたいに応援できない人間だということに気付いた。
バンドのファンと言えばバンドのファン。バンドのなかでは、その人が一番大好き。でも所謂、バンドマン個人のファンじゃない。
これに気づいてしまうのが、悲しいことに解散ないし活動休止、脱退したあと、新しいバンドを組んだ/加入した時に違和感を覚える。それまで、自分はちゃんと○○さんのファン!って真面目に思っている。なのに、新しいバンドは何故か怖いくらい以前みたいに何しても好き!ってならない。
新しいバンドにたいして、「おめでとうございます!」って素直に迎えられる人と、複雑な思いを抱えてしまう人の2つに分かれ、私は前者になりたかった後者です。
まず好きなバンドの本命と、新しいバンドの本命が同一人物なのは理解できる。
でも、自分の知らない曲を弾き、見慣れない人たちに囲まれて、のほほんとステージに立っている本命の姿を想像するだけで違和感しかない。もはや別人と同義になってしまう。
これが0からまた新しい気持ちで、好きになれたら大層なんだけど、こういうファンは大体前のバンドが好きすぎて引きずったまま死んだ顔でやってくる。
これが凄く、周りからするとすごくすごく面倒くさい。が、本人は至って真剣に悩み、苦しんで、ゆっくりゆっくり精神を死なせていく。自覚してても無自覚でも、とりあえずめんどうなファンの出来上がり!
周りには「そんなに嫌なら、ファン辞めたらいいのに」と言われ、そう言われるたびに自分がよくわからなくなってくる。確かに好きなんだ、嫌いになったわけでもない、応援したい気持ちはある、でも思うように心が追いつかないし応援できない、「好きなバンドのなかで個人のファンだった人(の一部)」はこういうところで躓いて苦悩します。
そして結果、究極の2択になる。
- 自分のもやもやを押しつぶしても、応援し続けるか
- 新しい道を選んだ本命の邪魔をしないようにファンを辞めるか
この地獄の淵を永遠と彷徨ってる感覚は、わかる人にしかわからないし、本当のバンドマン個人のファンの人には一切こういうファンの気持ちは理解できないと思う。
もしバンドが変わらなかったら、交友関係が続いていたんだろうなって子もいる。バンドが変わったことで考えの違いが明確になって自然と離れてく。悲しいことだけど、好きなものが一緒でいるときはたくさんカバーしきれていたものが、考えの違いが浮き彫りになってくるとお互い違和感しかなくなって離れる。好きなバンドを通じて知り合うってこういうことなんだろうけど、やっぱり悲しいのは悲しい。
そして私みたいな人は、「ファンを辞めれるならいっそ辞めたい」って思うことが沢山ある。上がる詐欺じゃなくて本当に心の底からファンを上がりたいと死ぬほど願っている。好きな人がこれから歩んでいく道を頭ごなしに否定したくない、その人にとっての「良いファン」のまま終わっていきたくて死に急いでいる。
だけど、今まで沢山培ってきた思い出や、その人自体への期待も捨てきれない自分と、さらに葛藤する。
ファンって簡単に辞められたら楽だ!でも、同時にその人のファンを辞めることは「見捨てること」と同じなんじゃないかと思って、本当の意味でファンじゃなくなる、そのファンという枠から外れる怖さが上回って足踏みする。
かといって、「複雑」「今日のライブ気分乗らない」等々ところどころでネガティブな発言をしながらもCDを買い適度に応援し続けることがいいのか。とりあえずお金を払って、枠に居続けるのが正解と言い聞かせるファンになるのが一番なのか。
丁度タイムリーとして、ファンは金かそうじゃないか問題*1なんか見てると、お金払ってればファンとして一応認めては貰えるんだみたいな意識が私にはある。あれこれ言う"発言権"があると思ってしまう。傲慢だけど、もはやお金を払ってCDを買いライブに行くことでしか、自分がファンだと胸張って証明できるものがない。そこまでになってしまうんですよ…逆に何故自分もこんなに苦しいのにファンを辞めようとしないのかわからなくなってきます。
これ書いてて、めちゃくちゃ病んでるな~って思う。2015年の暮れはこうやって毎日自己分析して、「なんで私は周りと同じように本命を応援できないんだろう」ってぐるぐる思考を巡らせては自己嫌悪で死にたくなっていたし、去年もSadie陣が新しい活動に踏み入れるたび「え?!Sadieは?!?!ラストライブでああ言ってたのに何で?!」ってメンタル毎秒死なせてた。相手もバンドマン以前に1人の人間なので、生活していくうちに考えが変わっていくことなんて普通にあるって今は思えるけど、その時は認めらなくて許せないって思ったこともたくさんあった。
このブログタイトルの答えとして、私はこうやって2年の間たくさん思考をぐるぐるした結果、「どっちも愛」だなって思うし、なんだかんだ言って時間が解決してくれる。こんだけ書いて結局それか?!って突っ込みは辞めてほしい。でも私は本当に思う。
周りが「嫌なら来るな」って理解しなくても、本命が見たくなったら見たらいい。まだしんどい、って思うなら休んだらいい。
複雑でもしんどくても、CDを買って曲を聴いたり、フラッとライブ行ったりすることも愛だなって思うし。
もうあーだこーだ言うのは辞めよう、って引き際決めるのも決断のいることだからそれも愛だと思う。
そのタイミングがまだわからないなら、時間が解決してくれるから待ったらいいって思うし。行きたいタイミングで行ったらいい。もう、何してもだめだと思ったら辞めたらいい。
私もバンギャル的に年の瀬に達したか?!って思ってしまうくらい今は穏やかなファンになれてきた感じする!さすが数々のバンドが三途の川を渡っていくさまを見送ったファン!
でも、冗談抜きで伝説の赤西仁のファンのEternalコピペ*2みたいな、境地に達しつつある。世にも奇妙な話よりも怖い話です。
9月21日になったし、ちょっと振り返りがてら整理して書いてみました。もちろん、何も言わなくても応援するファンが一番なんだけどね、ファンも十人十色なんだよ!
あともう1つ。
Sadieで好きだったのが景ちゃんだったのですが、現状の通り音楽から離れてしまっています。個人的には凄く寂しいし、でもそれが彼の選んだ道で、ファンが干渉する権利は勿論ないので「ただ待つ身」です。Sadieのファンとしての私は凄く「宙ぶらりん」。この先、景ちゃんが音楽をやるかどうかなんて本人にしかわからないし、彼の気が変わらない限りそれは一生やってこないんだろうなと今現時点で思っています。とても悲しいことだけど。
Sadieを思い出すたび、華奢な体ながら要塞のようなドラムセットを組み、魔法使いのようにスティックをさばいていた景ちゃんを思い出します。インストアの時も、かたや雑誌のインタビューでもドラムに関してはさほど多くは語ってなかったけど、その分ライブでは「自分のこだわりだけは絶対に外せないし外させない」。いつもバンド内ではマスコットみたいに扱われていたけど、確かに景ちゃんは景ちゃんなりにSadieの世界と音楽を守っていた。
でも、ファンに何も言わずにふらりと音楽の道から離れたことで、「ファンが勝手な期待をかけることも彼にとって重荷なんじゃないか」って離れることも考えた。俺のファンなんかさっさと辞めて、綺麗な思い出としてしまっておいてくれ、みたいなものが彼の希望だったり、もしかしてするのかもしれない。
さっきはステージに立つことを選択した人を応援し続けるのがいいのか辞める方が良いのかってめちゃくちゃ長々と語ったけども、音楽を自ら辞める選択肢を選んだ人に対しては私はどうしたらいいんだろう。それをずっと考えてる。
もちろん最後の最後で景ちゃんは表沙汰には言わなかったけど、音楽嫌いになっちゃったのかな?ドラムや、Sadieが嫌いになっちゃったから辞めたのかな?なんて、いちファンは知る由もないし、今更知りたくもない。いつか気が変わったら、Sadieのステージがまた見れる日も夢じゃないよなぁとまだまだ希望を捨てたくない自分がいる。
どれだけ「そんなん実質解散やん」って言われても、「活動休止」っていう選択を選んだみんなに夢見ていたい。私の2017年9月21日はここに置いていきます。