ぼくのはてな。

「推しのためならえんやこら」なバンギャルです。ヴィジュアル系、アニメ、漫画、ゲーム、アイドル、サブカルチャー。

例の件で今一度DOFについて考えるの回

 

3月になっちゃった!2019年も早いな、、、と思いますね、まぁなんかのおたくしていたら時間が経つのも早いです!

 

そんなこんなで、2月は頭からパンチの強いニュースから始まりまして、なんとか2月終わったなぁ…という感想です。

「あやちゃん、大丈夫?!」と心配してくださった方、ありがとうございます。その時とライブを見たときは本気で大丈夫じゃなかったですが、今はなんとか落ち着きました。生きています。命、あたたか!

みなさんは大丈夫でしたか!聞かなくても大丈夫ではない人しかいないと思いますが

 

さて、この記事の本題ですが、2月の頭、DOFとしての2019年の初ライブもまだななか、マジ目玉が飛び出て千切れるほどとんでもねー悲報が飛び込んできました。

 

 

 

今更掘り返さんでも、という感じではありますが、DOFを見続けてなんだかんだ4年弱、想像もしたことがなかった突拍子もない事態と、急すぎる脱退のニュースに未だに見るたびマジかーってなっちゃう。

 

自分の子供を失ってしまったような(子供いたことないですが)、長年付き合いがあった友人が突然会えない遠くへいってしまったような、何に例えてもバンドとファンの関係性ってそれ以上にもそれ以下にも言いようがないんですけど、絶対的に私達は「エンタメ」と「顧客」で、でもそれ以前にまた「ヒト」対「ヒト」でもあったんですよね。

友達でも、知人ですらなく、なんなら近所で挨拶する人よりも、ただすれ違う誰かよりも遠い存在ではありますけど、そもそも直接見て喋ったこともある人間に対して、何も感情が出て来ないわけないじゃないですか。もちろん心配になるし、悲しくもなるし、怒りもしますよ!

 

お知らせがあってからは、その時その時の気持ちをTwitterの便利な140文字の羅列に収めたり、敢えて見ないように、見えないようにしてはいたんですけど、かといって事実が覆ったり、夢が覚めたりするわけでもない。

なので、改めて文章にに表して、今一度心を整理したり、モヤモヤしたものは置いていっちゃおうと思った次第です。

 

ここからは酷な表現もあるので、読む方は自己責任でお願いします。

 

 

 

結論を言うと私は病気だとか、理由がどうであれ、最後にコメントひとつ寄越さずSNSも消して急に消えた彼のことは今でもとても薄情な人だと思っています。最後に人伝じゃなく本人の口から、文字でもいいので、「続けるのが無理だった」という意思を聞けたなら、無駄に想像力働かせたり、無為に希望を持たなくて済んだのに、と考えても仕方ないことを考えるばかりで。

これはメンバーも、ファンも、きっと本人もスッキリした終わり方ではなかった。

ただ衝動的に爆発して、突き放して辞めていったように見えて、そういうお別れだけはしたくなかったなぁと。

何を言っても後の祭りですが。

 

例えは悪すぎるけど、急に消えた人って私の中では=死んだ と同じなんですよ。ステージに立てない、活動できない、≠DOF dettoの本人自身が死んだわけではないけど、DOFのdettoはもういない。ステージ上の、バンドマンの彼自身として自分を殺した、っていう見え方しかできない。もう特別何かない限り、よっぽどのことが無い限り表には出てこれないだろうと思うし。逆に彼が「周りにどう思われたって構わない」そういう道を選んだ。色んな人にある事ない事言われても、言い返す元気もない状態だし。

日頃黒い何かが積み重なって、膨張して、昇華もできなくって、周りにSOS出してもなんの解決にも至らないまま、些細なきっかけでそうなってしまったのかもしれない。そうじゃないかもしれない。(ほんと知らんけど)

 

でも、メンバーもそんな彼をどうにもできなかったからって、今更後悔したり、「そこの立ち位置に3人のうち誰かが立つ必要はない」って、下手を空けて彼を祀ったりしてほしくなくて。

だってそもそも私たち、フラれちゃったのよ?!「もう一緒にやっていけない」って。

失くした後に、「君のこと大事に思ってたよ」「これからも4人でDOFだから」ってそんな形で見える人全員に示す必要性ある?って思うんですよ。それなら、もっと前から大事にしてあげて欲しかったし、こんな結末にならないように脱退ライブなり4人で解散ライブできる未来であってほしかった。

たとえバンドの中の仲良しであったとしても、お互いの存在が必要だったら大切にしたり尊敬しあったりできたと思う。見てないことまでとやかく言う資格ないけど、やっぱりいきなり「飛ぶ」に近い脱退を見てると、そんな去り方をせざるを得ない状況まで追い込んだんじゃないか、って私の目には見えてしまう。

こうやって、残った3人のメンバーにも疑いの目を向けたり、脱退した人も素直に見送れない自分も嫌になってくるので、「良くないお知らせ」って嫌だよな、と。

何もなかったら、変わらず好きでいられたんだろうけど。もう好きかどうかすら疑わしくなる。こういうこと思っている時点で、すでに好きから離れたところにいるのかもしれない。

4人が好きなのはみんな一緒だし、4人で居てほしかったっていう気持ちも変わらないと思う。私も私なりにDOFが4人で好きだった。

でも、本人絶対そんなこと望んでなくないですか。3人のエゴに見えるんですよ、だからそれが余計嫌になっている原因だと思う。

 

私も私で薄情だと思うんだけど、2月9日のライブ*1見てほんっとうに精神的に疲れてしまい、演奏中、ベースがいないのにベースの音が聞こえ、何度となく見た彼の仕草や動き、顔の表情も、そこに居ないのに居るように思ってしまう。

 

単純に気が狂ってきて、幻覚見てるみたいになる。あの日以来DOFのライブは見てない。ファンは泣いてて、お通夜来てるみたいだったし、ライブは相変わらずカッコいい、けど余計に喉に何かつっかえてる。死体蹴り見てるような感覚になった。

 

彼がいたことや、したこと、残したこと、そこであったこと、忘れたくないこともそれぞれ沢山ある。でもこうして考えてる今は、「忘れないでいる優しさ」より「忘れてあげる優しさ」もあるんじゃないかって私は思ってる。忘れるっていうよりは、「心の内に留めておく」というか。

SNSもブログも消えちゃった今、DOFのdettoがもう辿れない今は残された3人が繋ぐそれが、救いになっている人もいるんじゃないかと思います。そういう人たちも居て当然だと思います。

でも、私はここに文として書き殴って、DOFも私自身もボコボコにして、割り切って、また1からDOFと向き合って、これからどうするか決めます。「あの時はああだった」って1年後、2年後、ちょっとは振り返られるように。

 

ファンの人は、私の文章を見てお前が死ねー!って思った人もいるかもしれない。ここに書いている文字の羅列はただの私の自己満足なので、どう思うかは自由です。

 

私は、彼自身が辛くてこんな状況になったのだから、今はどこかで不自由なくもりもりご飯食べて、いっぱい寝て、たくさん元気に過ごしてほしいし、今度は本当に助けてくれる誰かや、頼れる人がそばにいて、助けてもらってほしい。そう願います。それが私の祈りで、願いです。

突然辞めるほどつらい場所だったところに戻ってきてほしいとか酷な事は言わないので、落ち着いた時にでもまたDOFに向き合ってくれたらと思います。

*1:DOFの2019年初めてのライブがPOIDOL主催@梅田クラブクアトロだった。